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  美唄東高等学校閉校記念誌「窓影」に掲載されました校長先生のご挨拶

 名門美東の閉校を惜しみ

 

 

 

第19代校長 菅原正利様

 創立五十五年の歴史をもつ名門・北海道美唄東高等学校が、平成13年3月末日をもってその使命を終え、閉校となることになりました。
 五十周年記念誌「窓影」で、開校以来の輝かしい足跡を記録にとどめ発刊されましたのは平成八年。時の流れと社会情勢の変化とはいえ、まさか4年後に閉校記念誌の執筆をすることになろうとは……。私のみならず、卒業生の皆さんをはじめ、地域の方々や本校関係者の方々にとりましても思い掛けない出来事であったのではと推察いたす次第です。
 35周年・50周年記念誌の執筆両校長ともに、今後益々の美唄東高等学校発展を期して述べられておりますが、この度の執筆校長として、55年間の変遷と各位への感謝の御礼に終え、未来を語れぬことが誠に寂しい限りであり、心残りでもあります。
 顧みますと、昭和21年の草創期は終戦直後で、国の再興に国民が一丸となっている時、宝塚とはほど遠い月組・雪組の誕生となった美唄高等女学校は、もんペ姿に下駄ばきで卓球やスクウエアダンスと手づくり校章作製に奮闘。昭和22年は、新制高等学校をスタートさせるための独立校舎建設用地確保に苦心惨たん。子孫のために汗して得た貴重な土地を全くの無償で寄付をと、救世主・前田伊三郎氏の土地提供により、昭和23年町立北海道美唄高等学校として設立許可された。現在も継続利用しているが、前田氏の献身的好意とはいえ、偉大なる功績であり忘れてはならない。昭和25年道立移管により北海道美唄高等学校となり、翌昭和26年10月1日付で北海道美唄東高等学校となって現在に至る。
 昭和40年には、各学年10クラスで30学級(1,545名在籍)のマンモス校となったが、基幹産業である石炭業の衰退とともに美唄市からの人口流出が生徒減を生み、併せて少子化の波が学級減となって、平成10年に美唄東高校と美唄南高校の統合再編が決定し、平成11年より募集停止となり、ここに北海道美唄東高等学校55年間の歴史にピリオドを打つことになったが、万感胸に迫るものを禁じ得ない。
 思えば創立以来、次代を担うに相応しい人づくりを目指して文武両道に励み、国公立大をはじめ進学校として高い進学率を示し、また、文化・体育部の各種全国大会で数多くの活躍を成す等、北海道に「美東」ありとその名を全国に馳せ、学窓を巣立った卒業生は1万5千有余名。それらの秀れた人材は美唄市はもとより広く各地・各分野で立派に活躍されていることは、誠に喜ばしい限りである。
 今まで築き上げた多大な業績と輝かしい伝統は「美東魂」となって 卒業生一人ひとりの胸中に生き続けることを切願し、新設美唄高等学校に悠久に継承されると信じたい。
 終わりにあたり、名門・北海道美唄東高等学校を創設・支え・発展させて頂きました、北海道教育委員会をはじめ 歴代校長各位と卒業生諸氏の御苦労と御活躍。さらには本校生徒の頑張りに、あらゆる角度からの御支援と御協力をいただきました美唄市、そして地域の皆様、本校関係者各位に深甚なる敬意を表しますとともに、心より感謝申し上げます。
 時を経て、今一度青春時代を振り返る時、忘却のかなたに消え去ろうとする母校への思いの中に、この記念誌「窓影」がひとつの役割を果たすことになれば……と。本誌に大変ご多忙の中、玉稿賜りました各位に心より厚くお礼申し上げます。

美東最後の校長先生 菅原正利様のご了解を頂いて掲載いたしております。